古くから日本で親しまれる、
豊富にタンパク質を含んだ健康によい黒豆

黒豆とは“畑の肉”と言われる大豆の一種で、表皮が黒色の大豆のことです。
正式名称を黒大豆と呼び、日本では縁起物としても食されています。

黒豆を知る

黒豆を知る

「なぜ黒豆を食べるのか」その歴史を紐解きます。

丹波黒とは

photo: 丹波黒

ふっくら、もっちり。
丹波黒はひと味ちがいます。

丹波黒は兵庫県丹波地方発祥の黒大豆の品種名です。粒は大きく形は丸く、食感はふっくら、もっちり口当たりの良さが特徴で、一際甘く風味豊かなとてもおいしい黒大豆です。その秘密は長い生育期間にあり、一般的な黒大豆の開花から成熟するまでの日数が約70日であるのに対し、丹波黒は約100日と長く、30日近くも多く養分を蓄積しながら成熟し、粒が大きく成長します。

多くの料亭やご家庭で新春を祝う料理に使われる丹波黒は、一年の始まりに穏やかな幸せを運んでくれるだけでなく、普段の食事やお茶の時間もふっくらと豊かに変えてくれます。

photo: 丹波黒

数百年かけて、
大きく、美味しくなりました

丹波地方での黒大豆の歴史は定かではありませんが、貞享二年(1685年)篠山封譚誌に「丹波土産として黎豆(クロマメ)」と記載され、元禄十一年(1698年)水戸で篠山の黒豆を納豆にして食べたとの記録が残るほど、古くから栽培されてきました。
昭和十六年(1941年)に兵庫県は古くから丹波地方で栽培されていた黒大豆の在来種に「丹波黒」という品種名を命名し、奨励品種に指定しました。その後、先人の知恵と努力により、系統選抜を何十年も繰り返すことで、成熟時期は晩生化し大粒になりました。一方で生育期間が長くなる分、生産者のかける労力は大きくなります。一般的な黒大豆よりも手作業が多く、また単位面積当たりの収量が半分と少ないことからも、丹波黒大豆は栽培に手間のかかる収量の限られた貴重な黒大豆であると言えます。

photo: 小田垣商店の歴史は丹波黒とともにあり

小田垣商店の歴史は丹波黒とともにあり

丹波篠山では古くから黒大豆の栽培が行われていましたが、その量は僅かで、地元の農家にも黒大豆の存在はほとんど知られておりませんでした。
明治元年(1868年)に鋳物商から種苗店に転業した小田垣商店は、大粒の黒大豆の美味しさを多くの方に伝えたいとの思いで、丹波篠山の農家に種子を配り栽培方法を伝授しました。そして収穫された黒大豆を仕入れ、手撰りで良品に仕上げ販売を開始。当時、稲作よりも収入が少ない状況の中、最低保証価格の設定と全量買取契約を結ぶことで、徐々に作付面積を増やしていきました。その後、昭和45年の国による減反政策も功を奏し生産量を大きく増やした丹波黒は、全国にその名を広く知られるようになりました。
当店の歴史は丹波黒大豆とともにあり、「黒豆の老舗」として誇れる黒豆をお届けできるよう、良質の素材を選び抜き、心を込めて一粒一粒伝統の手撰りで最高級の黒豆に仕上げています。