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黒豆について
黒豆とは“畑の肉”と言われる白(黄)大豆、青大豆、赤大豆など多くの大豆の種類の中の1つで表皮の色が黒色の大豆のことです。
黒豆の正式名称は黒大豆と言い、日本では古くから栽培されています。
その起源は定かではありませんが、古くは倭名類聚抄(935年)に当時の食品として鳥豆(クロマメ)が記載され、平安時代にすでに黒豆は栽培されていたと考えられています。
戦国時代(1400年代後半~1500年代後半)の武士の一部や忍者の間では、戦場で支給される兵糧が尽きた時に備え、黒豆を主原料とした自家製の丸薬「兵粮丸(ひょうろうがん)」を常備していたと言われます。
また江戸時代、文化二年(1805年)の「本草綱目啓蒙」には「和名に大豆と呼ぶは味噌豆の事にて黄大豆なり。薬方に大豆というは皆黒大豆にして黒豆の事なり」と記載されています。
黒豆と言えばお正月のお節料理に欠かせない食材ですが、お節料理に黒豆を食べ出したのは室町時代に砂糖がないためこんにゃくと炊き合わせて「座禅豆」と呼ばれ食べられていたものが起源と言われます。
江戸時代中期までの日本の食文化や日本古来の食慣習の多くは京都を中心とした宮中に起源があり、京都宮中の近隣に位置した丹波国を中心に栽培されていた黒豆が宮中へ贈られお正月に食べられていたものが、その後日本の食文化として各地へ広がって行ったとも考えられています。
江戸時代後期には黒豆を醤油や砂糖で煮た煮豆をお節料理として食べることが一般に広がり、幕末江戸時代の「絵本江戸風俗絵図」には「江戸中、家々あらゆる如何なる貧苦の者にても正月元旦・二日・三日の三朝、屠蘇(とそ)はくまざるも雑煮の調えなきはなし(中略)重詰の品は座禅豆(黒豆)、田作(ごまめ)、数の子の三重なり」と記載され、その時代には広くお正月のお節料理として黒豆を食べられていたことが分かります。
お節料理に黒豆を食べるようになったのは、昔から「黒い色は邪気を払い災いを防ぐ」、「黒い色は健康を意味し、マメに達者で皺のよる迄長生きを」と祈って、食べるようになったからと言われています。
また、稲作農耕民族である日本人にとって黒豆は大事な意味を持ち、「黒い=日焼けを意味し、水田でよく働く」、「丸い(黒豆の形)=鏡餅と同じように太陽を意味する」、「豆(まめ)=精を出してよく働き、体が丈夫なこと」で、「一年間の厄払いをして、今年一年元気で働けるように」との願いを込め、お節料理に黒豆が選ばれるようになった(食文化研究家の永山久夫氏による説)とされます。
大豆の1種類である黒豆の中でも日本国内には様々な品種の黒大豆があります。
昭和32年農林省振興局研究部発行の「日本における大豆品種とその分布の意義」には、昭和20年前後に日本で栽培されていた黒大豆の品種として、「丹波黒」(兵庫県)、「中生光黒」(北海道)、「黒ビッタ」(岩手県)、「黒千石」(岩手県、静岡県、京都府、他)、「3号早生大豆」(九州全域)など、30を超える品種や俗称が記載されており、日本では古くから多くの種類の黒豆が栽培されていたことが分かります。
現在、黒豆は極晩生品種の「丹波黒」(主たる生産地:兵庫県、京都府、岡山県、滋賀県)と中生品種の「中生光黒」(主たる生産地:北海道)が代表的な黒大豆の品種として知られていますが、今でも日本国内の各地で様々な種類の黒大豆が栽培されています。